02 June 2012

”共感”と”応援”

最近、友人に面白いことを言われた。
”そんなに共感しようとしてくれなくていいよ。ただ応援してほしいんだ” と。


”共感”をキーワードに人に接すると、共感できたりされる時は良いけれども、
そうじゃなかった時に排除につながらないか、それは危険ではないか?と思うと。
宗教も、民族的にも他国に比べてバリエーションが少ない日本では、
”共感”できる余地が多い。でも、その一方で共感できないものを排除することも、
弊害としてあるのではないか?という視点。



私は確かに”共感”がキーワードすぎて、背負わなくてもいいものを背負って自分まで疲れてしまったり、それこそ”共感”してもらえないとすごく寂しくしてきたから、
この考え方は私の一部分を解放してくれたような気分がした。



日本人でなくとも、人間誰しも、”共感”し合える空間を
居心地が良いと感じるのだと思うし、それは自然なことに思える。少なくともプライベートでは居心地の良い人といる自由があるはずだ。

でも、友人がパートナーを見つけて少しずつ変化していたり、深く付き合えば付き合うほど”共感”できない部分が増えていくことも確かに自然なことなのかもしれない。

その時に、”共感”できなくなったから、”距離を置く”のではなく、
尊重して”応援”することはできるのかもしれない。
応援だって体力も気力も使うことだから、人として好きな相手にしかできないことだけれども。なんだか今の私には、この視点、大事な気がした。

No comments:

Post a Comment